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2012年02月07日

久しぶりの更新

個人ブログは久しぶりのUPになります。


今日は、神様が素晴らしい出会いを与えて下さいました。


具志川バブテスト・コミニュティ・チャーチのムーン理枝先生


先日、べタニヤ ゆいまーる教会の金城米子さんと共にお会いした 


球陽出版の呉屋弘光氏の紹介により、今回の出会いに繋がりました。


私は、去年の10月に長く行っていた教会を離れ、神さまが導いてくださる教会を探していました。


私は、イエスキリストを信じてこの世界に導かれた時に、イスラエルの救いのために祈り、働けという事を神様に示されていました。


今日、神さまはその志同じくする者を引き合わせて下さいました。 ハレルヤ!!


八時にお会いし、時の立つのも忘れて先ほど帰ってきました


具志川バブテスト・コミニュティ・チャーチ 尊敬するハーベストタイムの中川先生の聖書塾で沖縄出身者では第一期生という事も、私にとって喜ばしい事でした。


神の導きに感謝!!


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Posted by PauIo at 01:47│Comments(7)出会い
この記事へのコメント
本当に主の導きに感謝です。
瑞慶山さんの証を聞きながら、沖縄に新たな光がさしたような気がしました。
私の母校知念高校の校歌に「うるま島明けしとき、聖地知念に光あり」と確かあったと思いますが、」まさに、うるま市から理枝先生、瑞慶山兄を通して沖縄に光がさしたと感じました。天地創造なる神が直接、お二人に声をかけています。神の祝福があるように祈らざるはえませんでした。アーメン!
Posted by 呉屋弘光呉屋弘光 at 2012年02月07日 08:54
瑞慶山さん、本当に感謝ですね。
人生でいろんなところを通ってこられ苦労されましたが、、さまざまな人との出会いを通して主は、
瑞慶山さんを神さんのヴィジョンに導かれていると確信しました。
「神は、神を愛するものたち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを私たちは知ってる。」ローマ人への手紙8:28
私も昨日は大変祝された時となりました。
どうぞ、昨日お勧めした聖書塾のことを真剣にご検討してください。ちなみに私は、6期生で、沖縄では、初穂(1期)です。共に主の御名を称え、沖縄の救霊、日本のリバイバルのため、イスラエルの救いのために祈り、前進していきましょう!
主に全ての栄光あれ!
うるまバプテスト・コミュニティ・チャーチ
ムーン理枝
Posted by ムーン理枝 at 2012年02月07日 13:46
呉屋さん>コメント感謝します。呉屋さんの洞察力にはいつも驚かされます。私たちは、救いも信仰による恵みにより、完成も信仰による恵みによります。

私達には何一つ誇れるものはありません。神に更に近づくためにみ言葉の学びが必要ですね。

出会いを感謝します。
Posted by 馬氏 21代馬氏 21代 at 2012年02月08日 08:34
理枝先生>コメント感謝します。やっと会えたな~という思いです。以前から噂は聞いていましたので、いつか会えるのを楽しみにしていました。

理枝先生の聖書感は私にも通ずる処があり、驚きました。神は備えておられる事を改めて感じました。
Posted by 馬氏 21代馬氏 21代 at 2012年02月08日 08:40
私は昭和の43年頃仕事で宮古の平良市西里の確か愛輪車という自転車屋さんに、訪ねていつた、ことがあります。お父さんと、オバ-と話したことがありました(沖縄の方言で)。それから沖縄市の倉敷の瑞慶山ダム(現在倉敷ダム)の由来は米兵が瑞慶山宅の後ろの川をさして川の名前を聞いて瑞慶山と答えたことから瑞慶山ダム命名した(比嘉であれが比嘉ダム)後で倉敷ダムに変更した。内の祖先は朝鮮から来たんですか?いつごろ来たのか内の父が話していることがあります、祖先の人でフランスまでいったことがいる、(ニユーカドレア)ことかよくわからない・何かありましたら。よろしくお願いします。
Posted by 瑞慶山謙一」 at 2013年11月24日 19:28
謙一さん このブログは、最近は更新していませんが、メールは入ってきますので、気づきました。
瑞慶山は首里王府時代にさかのぼり、琉球の士族の中で首里士族の馬氏(ばうじ)になります

初代馬氏は、大浦添親方良憲「唐名(中国名)馬良栓」となりそれから馬氏系統は約21の氏名(宮平、名護、高江洲、与那原、瑞慶山等)になり瑞慶山は、この初代の良憲から六代目で瑞慶山と名乗る(これを立ち口と言います)最初の立ち口は「勝連親雲上 良陳」と言うかたから瑞慶山は始まりました約1700年代ですね。そこから、瑞慶山は廃藩置県後に主に中部現在の倉敷ダムに集落を作り(もちろん那覇泊まりにも何人かとどまりました)そこから、北部、今帰仁、大宜味 中部はうるま市を中心に栄えました。

多分謙一さんのおじいさん辺りかその前の方は名前の初めに「良」とついているんじゃないかな? 馬氏の証明は、もちろん瑞慶山もそうですが名前の最初に「良」が付きます

私は今仕事で系図の作成をしていますので、瑞慶山家の系統図も資料として持っています。

しかし、どのあたりから、瑞慶山が北部地域や他の場所に何方から別れたかは調査中です。

謙一さんはどこの出身で今はどちらに住んでいますか?

先ほど話した琉球士族での「親方」(うぇーかた)や「親雲上」(ぺーちん)とは首里士族の役職で、親方は三司官これは首里王の側近で、中国や朝鮮にも行き来するぐらいの、琉球の為に働いた役職の方です。

先祖がフランスや他の国々に行った事は考えられます。
Posted by 瑞慶山です。 at 2013年11月24日 20:07
  大宜味村字上原にもクリスチャン(モルモン教)で 瑞慶山家があります
名乗り頭は 良 です 歴史の話も好きで とても お元気な方です 母方は大宜味村田港だと聞いた事がありますよ

 
Posted by 比嘉 at 2018年11月17日 12:05
 
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